下津井から熊野神社まで
-倉敷市児島は、歴史の香り豊かでしたー |
今日は久しぶりの多津美公民館郷土史講座館外学習です。日ごろの講座をさぼっていますので、今日こそと出かけました。コースは下津井→野崎家→由加山蓮台寺→五流尊龍院・・・といったところです。総勢20名の参加でした。 |
まずは古い下津井の町並みを堪能しました |
まずはバスを降りて、児島の南、瀬戸大橋のたもとの古い漁港、下津井の町並み散策です。「下津井~港はあよ~~ 入り良って出良てぇよ~~」と歌われるあの下津井節の故郷です。江戸時代に北前船にのって最上から運ばれたというこの下津井節、いろんな歌われ方をしていたといいます。戦後になって現在のような(健全な)歌詞が整備され、大衆的に歌われだしたそうです。 という下津井の古い町並みは、まさにその下津井節が聞こえてきそうな、いい雰囲気の町並みが続きます。古いお宅の2階を見上げますと、壁が塗りこめられ、また厚く前面に飛び出しています。あれが「うだつ」なのかな~と思っていると、隣家からの延焼防止で、あのように2階を強化してあるとの解説でした。車は少なく、落ち着いた町並みをゆっくりと見学させていただきました。 おや、ひさしが微妙に曲がっています。こ、これは、沈下のせいなのか?それとも・・・ |
祇園宮と長浜宮の連なったお宮さん |
行き着いたのは祇園様。ちょうど下津井港をのぞむ小山の上にありました。なんと本殿が2つ連なっています。たしかに珍しいです。もともとの長浜宮に、魔よけでスサノオの命を祭る祇園宮を勧請して、ともに祭ったのだそうです。それにしても、このお宮さん、さすがに歴史の重みを持っていて、いろんなものがあります。かっては芝居も上演したという芝居小屋、江戸時代の御座船の模型、お神輿、いろんな人の歌碑など・・・。ちょうどご住職が居合わせて詳しい説明をしていただきました。 このお宮さん、もともとは古下津井城ともいうべき室町時代の山城のあとだそうでした。 |
下津井城のこと |
![]() 短期間に数奇な運命をたどったお城のようですね。 |
むかし下津井回船問屋のこと |
そしてたどりついたのは「むかし下津井回船問屋」です。おや、一週間ばかり前の元業界のOB会で来たばかりではありませんか。でもそのときにはお世話役。今回は一生徒です。ゆっくりと見せていただきました。元々岡山県が開設した施設ですが、今は倉敷市が運営しているとのこと。予算の無い地方自治体の複雑さがここでも見られますね。前回は見なかった母屋や資料館なども楽しく見てまわれました。 |
鷲羽山レストハウス |
懐かしいです。まだ営業されていたのですね。なんて失礼なことを・・・。でも、正直そう思ってしまいました。でも、食事は美味しいし、瀬戸大橋は絶景絶景ですね。 |
野崎家旧宅のこと |
ここも1週間前に来たところです。児島の塩田王の住宅です。でもこんどは印象が違いますね。カメラのシャッターも勢い良く切ることができます。庭の木の一本一本や、水きん窟の美しい音色、贅を尽くした建物の細部にいたるまで、ゆっくりと観察することができました。 あ、あのお櫃や箱膳は懐かしいですね~~~。あ、五右衛門風呂が・・・。 ふ~ん、岩塩って、海水が閉じ込められて固まったものなんだ・・・。 知識の浅い我です。たくさんの発見をさせていただきました。 |
由加山蓮台寺と神仏分離のこと |
![]() 本殿には権現さんの前立ちというお不動さんが新しく巨大な姿を現していました。また離れた旧観音堂や多宝塔もやはり良かったですね。あ、塩原太助銘の石垣もありました。 |
五流尊龍院と熊野神社 |
最後はここです。ここも神仏分離の傷跡はあるのですが、由加山のように今でも喧嘩しているような様子はありません。それよりここは一月後には私が他のグループを案内して来なければいけないところです。五流尊龍院の庭や建物、児島高徳の碑など見て回りましたが、特別に見せていただいた大久保利通の馬車はなかなか興味深かったです。なぜここにあるんでしょうね? 熊野神社の素晴らしさも相変わらずです。本宮そっくりの姿ばかりでなく、今日は裏手にまでまわって、解説の小野敏也さんから詳しい解説を聞き、良かったです。 あ、後鳥羽上皇の碑もあらためて見直しました。 さすがに児島は歴史が古く、また古い物がちゃんとたくさん残されています。歴史好きには答えられないスポットですね。今日は駆け足でしたが、また1つ1つゆっくりと回りたいものです。(2009,11) |