水島の戦争遺跡 亀島山地下工場 |
もう2年余り前のことになります。そこへ行ったのは。その時には「水島の歴史」を書く事になろうとは夢にも思わなかったので、記録に残さなかったのですが・・・。今こうして思い出してみますと、この亀島山地下工場跡というのは、水島の歴史で欠く事のできないものであることに気が付きました。 で、当時の資料を引っ張り出して見ています。
高さ78メートルの亀島山、今でもこの山の上からは、周囲に水島地区が一望に見渡せます。(下の写真参照)
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先の太平洋戦争末期、航空機が戦局を決定してきたため、当時の軍部はここ水島に三菱重工業の航空機製作所を誘致し、航空機の製造に取り組みました。昭和16年(1941)高梁川廃川地への軍事工場誘致が決まると、工場や工員住宅、福祉施設など建設のため、当時この地で農業をしていた人たちから、農地を強制的に取り上げて建設が行われました。
私たちは幸いにも、「亀島山地下工場を語りつぐ会」の人たちの案内でこの地下工場跡に入ることができました。私がまず驚かされたのは、この工場跡が文字通りの「地下」ではなく、地表と同じ高さ(レベル)のトンネルだということでした。事前に名前から想像していたのは、空襲から逃れるために「地下深く」なのかなと考えていたからです。 まだ「公開」されていなくて、内部は真っ暗です。懐中電灯の光を頼りに進みますと、その規模の大きさに驚かされます。一部はコンクリートで固められていましたが、多くは素掘りのままのようです。
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ところどころ壁に穴があります。天井設置のための支柱をはめる穴だそうでした。 また、機械を据え付けたた跡だと説明されたところもありました。掘り出した岩や土を運び出すトロッコ用の枕木の跡もありました。 こうしたトンネルがこの亀島山の全域に格子状に掘られているのです。驚きました。 戦争とはいえ、すごいことをするもんだと思います。 今また、日本全体がきな臭くなってきているようです。こうした戦争遺跡は、ぜひ公開して、私たちが戦争について考える材料にしなくてはと思いました。
最近朝の散歩で新しい発見をしてしまいました。水島臨海鉄道の浦田駅前から北へずっと行ったところ、そう5軒屋から道路が右へカーブします。そこの山裾にその看板がありました。「五軒屋『松』疎開工場の給水塔」とあります。そう戦争末期、軍用機製造工場の疎開工場は、亀島山地下工場のほかに三カ所あったということは聞いていたのですが、その一つがここへあったようなのです。 |
ーー「五軒屋『松』疎開工場の給水塔」の看板ーー![]()
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