水島の韓国・朝鮮人の事 |
「水島には多くの韓国・朝鮮人が住んでいる。」という知識は、私にも最初からありました。定年直後に水島地域の一角にある「ライフパーク」の韓国語講座で、半年ほど学んだこともありました。このHPでも何か書かなくっちゃ・・・といつも思ってはいたのです。 |
「韓国・朝鮮人強制連行労働犠牲者慰霊碑」とあります。裏に回ってみました。「1996年5月」「在日本大韓民国民団岡山県倉敷支部建立」とありますが、詳しいことは書いてありません。何かわからないかな?と思って、お隣にある「倉敷韓国人会館(ふれあい会館)」を訪ねてみました。
「分断以前は、「朝鮮」という一つの国だったんですね。ところが太平洋戦争後、南北に分断されたでしょう。地域によって『韓国』を選択した人が多かったり、『朝鮮』を選択した人が多かったりもしましたけどね。」 今でも多くの苦労を抱える民族が、他国へ来て苦労が重なっている様子が洪さんの口から次々に出てきます。
「明治のころ朝鮮は日本の植民地になったでしょう。生活が苦しく、多くの人たちが日本に渡ってきて炭鉱などで働いていたというんです。九州や西日本の鉱山などで働いていた人たちは半島南部出身の人が多く、新潟や東北など東日本の鉱山炭鉱は北部から渡ってきた人が多かったという話です。」 「トンネル掘りの仕事は、夕方仕事がすんで帰るのは自由でしたが、飯を食うて寝とると、交番の巡査が二人、大きな棒をもって晩にバラックをぐるぐる回るんじゃ。たまに憲兵が来やがる。それで「なんで仕事をせんのじゃ」いうてぶん殴るんじゃ。「仕事をせん」いうて殴る。「寝るな」言うて殴る。ものを言わなんだら「言わん」。言うたら「しゃべるな」いうて殴る。もう話にならんのじゃ。履くものもないし、はだしでえろうて、昼も夜も仕事出来やしませんがな」 金原哲さんは、地下工場のトンネル掘削に従事した朝鮮人体験者の一人です。「作業が長引いたり、失敗したりすると、特高が朝鮮人を地べたに座らせ、殴る、蹴る、背中を踏みつけるなどの暴行を加えました」とも証言しています。トンネル掘りの仕事が強制労働だったことを示しています。掘削作業中の落盤事故で朝鮮人が死んだという証言もあります。(以下略)
洪さんのお話が続きます。
「九州に来た人たちの中にはクリスチャンがたくさんいます。つらい生活の中で宗教が心の支えになりました。また戦前から教育熱心な人たちは、子供を東京や大阪の大学に入れたんですね。そういう人たちが抗日運動に入って行ったんです。そして弾圧も受けて・・・。 洪さん、ありがとうございました。(2019,4) |