ひるがえる八間川調査隊の旗 水島現代史の象徴「みずしま財団」 |
青い「八間川調査隊」という旗がひるがえっています。ここは水島市街の中心部、八間川で唯一水辺に降りられる「大根洗い場」というところです。30人を超える人々が集まっています。お年寄り?もいますが、子供さんも多く、あれは学生さんの一団でしょうか。
みんなは手に手に網やバケツを持って、川の中に入っていきました。
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これはさきの「水島のど真ん中・八間川の謎」でふれた「みずしま財団」さんの行事「八間川調査隊」で、1999年からもう17年間、今回で59回目にもなるそうです。
見ていますと、子供さんたちが主体で、「水温測定」「水採取」「CODパックテスト」「川の生き物調べ」などが行われています。少し暑い中でしたが、わいわいがやがや・・なかなかに楽しそうです。
様々な生き物が採取されていました。魚ではモツゴ、ヨシノボリ、タイリクマナタナゴ、オオクチバス・・・魚の知識に疎い私には初めて聞く名前ばかりで、よく見わけも尽きません。講師の多賀先生の詳しい説明が続いていました。
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水生昆虫等では、アメリカザリガニ、ウシガエルのオタマジャクシ、ウマエビ、シジミ類、ヤゴ、カワニナ・・・ではそのうちホタルも夢じゃあなさそうですね??。 また水草でもセキショウモ、クロモなど数種類が上げられていました。私が上からのぞき込んでいたのでは、せいぜい2~3種類の藻が茂っているとしか見えないのですが、八間川の水生は意外と豊富で多種多様なようでした。
おっと、大きなスッポンと、ミシシッピーアカミミガメ(ミドリガメ)もいました。そういえば先日八間川の土管の上でカメが甲羅干しをしているのを見かけましたね。
この行事を主催されている「みずしま財団(財団法人水島地域環境再生財団)」さんはいったいどんな団体なのでしょうね?
水島のおこりは、大正のころに洪水防止のため東高梁川を酒津で締め切って、廃川にしたことです。その廃川地(水島)の真ん中にできた八間川、当初は流れも澄み、水遊びもできるきれいな川でした。 昭和30年代後半から新産業都市といって、水島の沖を埋め立てて、コンビナートができ大きな工場群が立ち並びました。そうすると廃水で海が汚れ、工場排煙で空も汚れていきました。当初は煙突を高くして排煙を薄めようとしたのですが、こんどは山2つも越えた地域の特産である「イ草(藺草)」まで枯れていったのです。
当然ながらこうした汚れは人の体にも影響を与えます。肺や気管支などの病気になる人が増え、亡くなる人まで出たのです。国が「公害病」と認めた人だけでも、4,000人近くになりました。 そして1996年、公害患者家族と工場をもつ会社は和解しました。会社は患者に償いをするとともに、水島の町をよくするためにお金を払うことになったのです。 それをもとにして、環境にいい水島を作るために生まれたのが「みずしま財団」なのです。 (この項、パンフレット「八間川ってどんな川?」(水島財団、八間川調査隊)を参考にしました。)
これは私にとって衝撃でした。北京の例をひくまでもなく、今も公害問題は人類史的な課題です。そうした時代に、こうして公害患者と地域の人々の運動に、企業も協力しながら、人々の環境を守っていく・・・そのモデルが「みずしま財団」としてここに存在したのです。もちろんいろんな団体や運動があるのは知っていますが、この「みずしま財団」は水島の歴史にエポックメーキングな存在なのではないか? ということでこの「水島の歴史探訪」の一ページに加えることにしたのです。(2016,7)
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