, ”反戦平和の象徴”ロダンの『カレーの市民』岡山に2体目。39年前、山陽放送の努力で!!

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”反戦平和の象徴”
ロダンの『カレーの市民』岡山に2体目
39年前、山陽放送の努力で!!

 コロナ禍が3年目に入ろうとした、3月なのにまだまだ寒い一日でした。そろそろ梅が咲かないかな?と岡山市北区撫川にある「RSKバラ園」に出かけました。岡山の放送局、RSK山陽放送の経営です。
 梅はいまいちでしたが、散策する途中見つけたのです。
 そう、世界の巨匠『ロダン』作の彫像2体。ブロンズ像でした。あ、そういえばここにあったのだっけ!!!
 「カレーの市民」と「オルフェ」像が並んでいます。
 ロダン2体が、もう少しして大量のバラが華やかに咲きそろうと、その中で多くの観光客の目を引いていたのでした。
 で、その中の「カレーの市民」は、ロシアがウクライナに侵攻する暴挙が世界の耳目を集めている現在、最も注目を集めるべきものではなかったかな??
 もうかなり前になりましたが、マスコミで働いてきた過去を持つ私の注意を引いたのです。これは少し調べなくっちゃ????
 というわけで、古い記憶もたどりながらの調査でした。

600年余り前、英仏の100年戦争の惨劇でした

 西洋史をひも解いてみますと、「1339年~1453年の間(日本では南北朝時代から室町時代のころ)、イギリスとフランスの間で、領土や王位継承などを巡って断続的に行われた戦争(100年戦争)」なんていうのが出てきます。
 あ、私はこういう方面には詳しくないのですが?あのジャンヌダルクも活躍した戦争らしいです。
 その中でフランスの港町「カレー」が、イギリス軍に包囲され、1年以上にわたる長い包囲兵糧攻めで、あわや悲惨な全滅?と言われるまでに至ったのだそうです。
 1347年やむなく降伏交渉にいたるわけですが、イギリス側に市の主要メンバー6人が出てくるように要求されます。
 カレー市の裕福なメンバーを含む6人が志願し、死を覚悟して門のカギをもって出ていくわけですが、その時の様子を後世(1888(明治21)年完成)ロダンが像にしたものです。
 この像は、当時期待された「英雄的な表現」ではなく、敗北し、死を覚悟して、惨めな裸に近い格好であったため、物議をかもしたともいわれます。

 おっと、後日談ではこの6人、イギリス王妃が妊娠中だったため「惨たらしいことをこの子に見せたくない」とイギリス王を説得し、死刑は免れたとかいう美談が残っています。

エディション12まで鋳造されました

 「カレーの市民」像は6人の人々を表現して、6体があります。
 ブロンズ像は、作者がまず粘土などで原型を制作、それを石膏などで型取り。次に鋳造所の職人が金属を型に流してブロンズ像を制作する。という工程だそうです。
 これではいくらでも複製が出来るため、作者によりあらかじめ何個作るか決められていて、それを「エディション」と呼ぶんだそうです。
 ロダンの場合、その数を決める権利をフランス政府が持っていて、「カレーの市民」はエディション12まで作られています。
 それが世界各地で展示されているのです。6人が並んでいるものと、そのうちの1人だけが展示されているものがあるそうです。
 岡山県の場合、幸いにも大原美術館とここRSKバラ園に、それぞれ一人の像があり、観光客や県民に披露されているのです。
 大原美術館のは「ジャン・デール」(大きな鍵を持っている)の像で、RSKバラ園のものは「ジャン・ド・フィエンヌ」像で、着衣を着ている人です。
 右写真は、RSKバラ園の「カレーの市民」の足元、ロダンのサインです。

大変な交渉でした

 RSKは当時(1983年)地域に放送文化を発信する拠点として「RSKメディアコム」という建物を建てようとしている所で、その象徴としての美術品を探している所でした。
 そこで、当時の河内山重高社長の発案で、「ロダンの像はどうか」ということになり、担当者に任命されたTさんを中心に、大変な努力が払われたようなんです。

 以下Tさんです。
 「当時は私もそう言う方面には知識もなく、ただ絵画がいいか他には?絵画は傷みやすいので、ブロンズ像のほうがいいのでは、という所から出発しました。
 そこで県下で大原美術館や岡山大学の先生などにも相談していました。
 その時社長がロダン美術館と直接交渉して買ったらどうか??と言われて・・。
 TBS(RSKを含むテレビ系列JNNの東京キー局)のパリ支局にも相談して交渉してもらったのです。
 で、今(ロダン美術館として)出せるのはこれこれで、カレーの市民には12あり、半分は営業レベルで出されて、他は公共の場に飾ることで出されるということが分かり、あとは展示するメディアコムの趣旨や公共性を説明することに力を尽くしました。
 その時、岡山県北に「大聖寺」というお寺さんがあり、そこの副住職夫人が日航勤務でエールフランスの人とも伝手があることがわかり、いろいろとご協力いただきました。
 その結果、共有の場に展示するものとして、ロダン作の「カレーの市民」と「オルフェ」をいただけることになり、無事神戸港へ上陸したときには、本当に嬉しかったです。 」

   この大聖寺の副住職は当時、フランス政府の招きで「陶器研究所」をフランスで営んでおられ、日仏を度々往復されていたようでしたので、お話を伺いました。。  

 こんどはこの副住職(当時・今はご住職)のお話です。
 「RSKの当時の河内山社長は工学部出身で、『これから日本はもっともっと産業や文化が発展する。地域に奉仕するテレビ局として何か象徴になるものをメディアコムにも置きたい』と言われていました。
 私もそんなお話は手に余りそうで、一度はお断りしたのですが、折に触れてフランスの有力者ともお会いできたので、すこしずつご協力いたしました。
 当時のディスカールディスタン大統領夫人とか、モナコの国王婦人などにもお話しする機会を得ることが出来ました。
 その結果、ロダンは売ることはできないが、ベルサイユ市が日仏友好の証として送ることが出来るかもしれない・・・・
 ということで、メディアコムの公共性を説明したりしました。
 途中でエールフランスの日本人スチュワーデスの方にも機内でお目にかかり、いろいろとご尽力をいただいたりもしました。
 その結果、カレーの市民がRSKバラ園に来ることになり、本当に良かったです。」

ロダン美術館の証明書が

 あと、私の興味は、当時のロダン美術館とRSKとの契約か何か残ってないか?ということでした。
 完成したばかりのRSK新館にお邪魔しました。
 そこには、当時の2体のロダン像のいわば「売買契約書」と、ロダン作の彫像であるというロダン美術館の証明書が残っていて、写真に収めさせていただきました。
 下の写真、ロダン美術館の証明書で、左が「オルフェ」、右が「カレーの市民(ジャン・ド・フィエンヌ)」のものです。

ロダン作の「反戦平和の象徴」でもある彫像が岡山県に2体も

 こうして、ロシアによる侵略戦争が始まった今、世界のロダンの彫像、それも反戦平和を願う思いがこめられた「カレーの市民」のおかれた意義ははかり知れないと思います。。
 日本では唯一「エディション9」の「カレーの市民6人」を展示してある「国立西洋美術館」とともに、ここ岡山の一角からも、ロダン「カレーの市民」が「反戦平和」を願っているのです。

 以上、岡山のRSKバラ園におかれた「ロダン・カレーの市民」について、その経過を含めて取材して、お伝えしました。(2022,3)

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