越前和紙の里の「杉原」さん

 『こんにちは。杉原さんですね。』「はい、そうです。」杉原どうしが交わすあいさつとしては、妙なものではある。鯖江駅の改札を出たらすぐ声をかけられ、一面識もない二人が旧知のように挨拶をかわした。いつものことだが、なぜか初対面の気がしない。
 福井県の中央部に「今立町」という町がある。「手漉き和紙の生産日本一」というこの町の、和紙生産の中心地に「杉原」さんがいた。それも「越前和紙の問屋、杉原商店」としてである。
 私としては予定外となったため、前触れもなく大変失礼な訪問となってしまった。
 おりあしく御当主の「杉原半四郎」(19代)さんは御不在であったが、このインターネットで知り合った息子さんに応対していただいた。

 画紙、書道、日本画、色紙、のし紙、ふすま紙、卒業証書、葉書、便箋・・・。そして株券、お札にいたるまで、多彩に使われている「越前和紙」。その産地のど真ん中に居を構え、手広く「和紙問屋」を営んでおられるお宅は、「今里町和紙の里会館」などの産地施設のすぐ近くに、いくつもの蔵を連ねて、旧家のたたずまいをみせていた。
 『前はもっと山の方にいたらしいんですが、大正の頃ここへ出てきて、ポンポンとこの蔵や屋敷を建てたんだそうです。当時はよっぽどお金があったんでしょうね。』

 いつもにこにこと笑う若者の、サイケディリックなTシャツが、伝統的な屋敷と、見事なミスマッチで、とってもいい雰囲気をかもしだしている。
 『何でも、1482年にこの地の紙の神様、大滝神社(大滝寺)に、杉原了賢という人がたびたび寄付をしているのが、この地の最初の杉原だそうです。今はこの地にはわが家のほか杉原姓がないため、これが先祖だと思っています。わが家は代々『半四郎』を名乗っていまして、父が19代目ということになっています。もっとも10代前より以前はお寺の資料が焼けて、詳しくはわからないようですが・・・。』
 「では、あなたが20代目?」『ええ、そうなるでしょう。』

 床には応挙の「桜」と「紅葉」の一対の掛け軸がそれとなくかけられている。
 『漉いた紙を、京都などの加工業者におくりまして、いろいろな製品に加工してもらいまして、それをまた全国に送るといった、まあいわば流通業なのですが・・・。ただいつからわが家がこの仕事をしているのかがわからないのです。』

 ふとみると「考古学者、杉原荘介」という本が机の上に乗っているではないか。趣味が考古学の私には忘れられない名前である。
 「なつかしい名前ですね。戦後の考古学の巨人ですね。」と水をむけたつもりの私に、意外な答がかえってきた。
 『この人は、私のひいおじいさんの、弟になるんですよ。東京の杉原(紙)商店の跡継ぎだったんですが、考古学の道に進まれたとか。』
 「えっ。!!!」思いがけず、すごいつながりを聞かされ、絶句してしまった。
 『杉原って、考古学に関係あるんですかね。今私の弟も、奈良大大学院で考古学をやっているんですよ。』
 「えーーー、そうなんですか。私も考古学は趣味なんですよ。」・・・。これは杉原荘介氏のことを、ぜひホームページでとりあげなくては・・・、と思いながら、話がはずむこと、はずむこと。

 「和紙の里」で、紙漉きの実演や諸資料を見学したあと、帰りしなのことである。
 『この家は、不思議な家なんですよ。山裾に北向きに建てられているんですね。いつか不動産屋にみせたら、”これは素晴らしい。集産した紙を保存するために、わざと日当たりの悪い場所に、こうしてあの蔵々を建てたんですな。めったにないことですよ”なんて言われました。それまでは、御先祖様は変わった建てかたをしたもんだと思っていたんですがね。』

 この「越前和紙の里」に、数百年にもわたって続いてきた「杉原家」は、さまざまな工夫をこらしながら、たくましく生き抜いてきたようだと、何度も後ろを振り返りながらのおいとまとなったのであった。

PS: このあと、杉原半四郎さんからは、御丁寧なお便りをいただきました。

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