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”ねね”さんのお寺、「高台寺」のこと

杉原姓の有名人というと、何といっても”ねね”さんを外すわけにはいきません。(「ねねって杉原なんですよ」参照)
”北政所”、”寧子”、”寧々”、”ねね、”おねね”、そして”ねねさま”、”ねねさん”、”高台院”。
その”ねねさん”のお寺が京都にあるのです。そう、東山にある高台寺です。夫である豊臣秀吉の菩提を弔うために、ねねさんが建立したお寺だそうです。

 陽だまりのなかの『ねねの道』 
大高台寺展が2001年12月10日(月)から、2002年12月8日(日)まで、1年にわたって開催されるのを知って出かけてみました。
タクシーを降りると、目の前には一本の石畳の道がのびています。かたわらの石には「ねねの道」と刻んでありました。観光客用の人力車が数台、趣きを添えています。
歩くと両側には京料理の店や古風な旅館、そして工芸品といいますか特産品を扱う京都らしいお店が続きます。 どの店にも「ねねの道」とかかれた提灯がかかげられて。
冬というのにここだけ陽だまりに恵まれ、いつまでもたたずんでいたいと思うような、本当にいい雰囲気のところです。

 ”ねね”さんの葬むられた、「高台寺」
その”ねねの道”の中ほど、右手の石段をすすむと「高台寺」です。
豊臣秀吉没後その菩提を弔うため、秀吉夫人の北政所(ねね)が、慶長10年(1605)開創したお寺。壮麗を極めたお寺だそうですが、たびたびの火災で現在残っているのは、開山堂、霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台などで、国の重要文化財に指定されているとのことでした。
広い境内にはいい雰囲気の庭園(小堀遠州作)が続き、こんなところにというところに茶室があったりして、本当に見飽きないお寺です。特別展のせいでしょうか、この日は観光客も多く、要所に説明員の方が配置されて、本当に良いひとときをすごさせていただきました。
秀吉とねねさんをおまつりしてある霊屋には4~5年前でしたか、岡山の「高台寺展」でおめにかかった、二人の木像が安置され、こんどは少し遠目でしたがしっかりと確認できました。
「あのねねさんの像の下には、土葬という形でねねさんが埋葬されておいでです。そういう意味でこの霊屋(おたまや)はねねさんのお墓にもなっています。」女子大生でしょうか。きれいなお嬢さんの説明に、思わず合掌してしまった私でした。
お寺の出口で「ねねの像」の色紙を求めてきました。スキャナーで読み込んでみましたので、どうぞご覧ください。

 
  拡大画像あり

  ねねさんが19年間住み、終焉の地となった「圓徳院」
「ねねの道」の、高台寺の向かい側にあるのが「圓徳院」です。ねねさんが高台寺建立を志し、伏見城の一部を移築して移り住み、77歳で亡くなるまでの19年間を住んだと伝えられているそうです。
ここでは「ねねさまは、ここから高台寺にお参りされるのを日課とされていました。」とご高齢とお見受けしましたが、上品な女性の方が丁寧に説明されていました。
ねねさんを慕って、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家などの文化人の出入りが絶えなかったそうです。当時は京都文化の1つの中心だったのかも知れませんね。
「北庭」というお庭は国名勝指定とありましたが、大きな石が巧みに配置され、それは迫力あるものでした。
この圓徳院、その後はねねさんの兄、木下家の菩提寺となったそうです。

 高台寺の名品を展示した「掌美術館」
圓徳院のお隣には「京洛市ねね」という建物がありまして、京料理、京土産、喫茶、京漬物などのお店が小石を敷き詰めた小径沿に連なっていました。
その2階にあるのが「掌美術館」。高台寺とその関連寺院に収蔵されてきた名品を中心に高台院(ねねさん)ゆかりの品々を公開展示する施設とありました。高台院像、秀吉像、そして「高台寺の宝物」「蒔絵の調度品」と華やかな桃山文花の粋が集まったようでした。

なお、この大高台寺展は2002年12月8日まで1年間開かれています。この拙文をお読みいただいて興味を持たれた皆様、ぜひ一度見にいかれることをお勧めいたします。

また「高台寺ホームページ」が http://www.kodaiji.comで公開されています。高台寺の様子や、圓徳院、掌美術館を含め、多くの映像も見られます。ぜひあわせて見ていただけたらと思います。(2001,12)

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