「杉原姓目次」のページへ戻る
京都も杉原姓の多いところです。府下で350軒余り、京都市内で253軒(電話帳調査より)。
室町幕府の役人に多くの杉原さんがいて、連歌師杉原宗伊を生み出したところです。私もいつか調査してみたいと思っていました。
そうしたところへ「鞍馬寺の前の鞍馬二ノ瀬町というところは、半分が杉原姓です。ぜひ調査においでください。」というおさそいがあったのです。
「鞍馬と言ったら何を連想する?」娘や私の周りの若い人たちに聞いてまわりました。ところが何も返ってこないのです。当然「牛若丸」とか「鞍馬天狗」という答えが返ってくるものと思っていた私は、ここでもゼネレーションギャップを感じてしまいました。
でも、でも皆さん、鞍馬といえば昔は天狗が住んでいて厳しい業を繰り返し、牛若丸(源義経)が少年時代をすごしたところ、そして幕末の鞍馬天狗のことも、、、ということですよね。そこが杉原さんの多いところときけば、私たちの世代にはこれほどインパクトのあるネタはないではありませんか。
ご案内をいただいたのは、この二ノ瀬町出身で、今は左京区下鴨に住むというお二人、杉原進さんと杉原ツルさんでした。
 |  |
鞍馬寺 | |
|
両側に山が迫り中央に深い谷川。その両斜面にとりつくように30~40軒の家が連なる鞍馬二ノ瀬町。京都の市街地から車で15分ばかりのところにこんな深山幽谷があるとはちょっと信じがたいことではありました。本当に静かで景色の良いところです。叡山電車の二ノ瀬駅も山の中腹、自然の中にマッチしたいい雰囲気です。家並みをぬって走る鞍馬街道は、夏にもなるとこの奥の貴船神社と鞍馬寺へ行く観光客の車で文字どおり数珠つなぎになるとかお聞きしました。
「杉原家は、そう、11軒でしょうか。ここは杉原姓と今江姓が特におおいんですよ。今は私も含めてここへ家を残して市内へ出ている者も結構いるんですけれどもね。」とても80有余歳には見えない杉原ツルさん。坂道を先に立って案内してくださいます。いただいた名刺には「詩吟」「郷友連」「華道教授」「茶道教授」‥‥という文字が並びます。
「そうそう、もう何十年も自民党の左京区幹事長や支部長もやってきたんです。中曽根さんやいろんな人に表彰してもらったり。」なんてことも話しておられました。すごいバイタリティーです。それがこのお年までお元気な秘密なのでしょうか。
「私のこの家は270年くらい前に建てられたんです。太い大黒柱が2階まで通っているでしょう。ここに今残る家では一番古いんじゃあないでしょうか。」何軒かある煙だしのついた旧家でした。台所の煉瓦作りの立派なかまどが私の目をひきつけ、パチリと一枚。
「あそこも杉原家でしょう。ここもそうです。あ、こちらは大日本スクリーンの役員をされた杉原家なんです。」杉原進さんの説明を待つまでもなく次々と杉原の表札があらわれます。京都大学名誉教授の杉原彦一さん(後日訪問)のお宅も教えていただきました。
なぜここに杉原家が多いのでしょう。京都市内にもこの二ノ瀬町出身の杉原さんが少なくないといいます。今回の訪問に際してツルさんも調査され、進さんも以前に調べられたそうですが、お寺も火災に遭っていて過去帳も古いのがなく、詳しいことはわからないのだそうです。また10軒以上も杉原家がありながら、親戚だというお宅がまれだということも不思議なことでした。
平安遷都から数10年後の貞観4年(862年)、惟喬(これたか)親王がこの地を開拓、仮住まいして村人に挽物の業を教えたと二ノ瀬町の神社の由来書きにありましたが、1,100年もの長い歴史を刻む土地のようです。また江戸時代には学問所の頭領、赤穂義士の助命を主張したといわれる林大学頭の領地でもあった二ノ瀬町。そこで重きをなしている杉原家の歴史は‥‥‥。現地へきてみてますます謎が深まったというのが私の率直な感想でした。杉原ツルさん、杉原進さん、ほんとうにありがとうございました。(2002,1)