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私たちが住んでいる倉敷市中帯江。実は私たちは、住みやすいことでも定評のあるこの岡山県でも、ここは特別に住みやすいと思っているのです。なんで?といわれましても、「そうなんだ」としか言えませんが、まあ聞いてください。
ここが「吉備の国」と言われていたはるかな昔は、瀬戸内海に浮かぶ「早島(隼島)」という島の一角でした。周囲は全部海だったのです。そこにいつごろから人が住み始めたのでしょう。隣の五日市には貝塚がありますし、かなり古い時代からということが出来るでしょうが、村落として形をなすのはずっと後、今の県道を埋め立て堤防(宇喜田堤)として新田地帯が開かれた天正のころ・・・すなわち豊臣秀吉のころということができますでしょう。
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西田、早高など沖へ沖へと干拓がすすみ、ここ中帯江の地も急速に発展していきます。「中帯江村」となり早島戸川家3,000石の一部となります。代官屋敷、大庄屋などがおかれ、年寄りなど村役制度も整備されます。新田地帯では、綿花やい草、米などの栽培がはじまります。江戸中期以降には観音寺も繁昌し、門前町的集落も発達してきます。こうして江戸時代末期には、ほぼ現在の集落の原型のようなものが出来上がったと思われます。
ではでは、はじまりはじまり~ |
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